本所外出町の佐野屋〜明治・大正期
大正12年9月1日の関東大震災で焼け落ちた。

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@大震災前の石原
A入り口の暖簾
B物干し台

菊池S氏回想録より
菊池の大震災前の本所時代の豪商の生活等、菊池の両親(久吉、艶子)に聞いた話は月日の流れる侭、次第に記憶が薄れます。当時の方々は皆様すでに鬼籍に入られて伺うすべもなく残念です。例えば本所の質店は支配人が二、三人いて其の下に属する番頭さん、小僧さん達が何人もいて、主人が謡曲を嗜み、店の人も習ったのか、質蔵にいる時に店の者が口ずさむのは謡曲の一節とか。
雪が降れば、雪掻きに町内の頭(かしら、鳶の人)が菊池と染め抜いた紺の半纏を着て店の前を清掃したり、大店では常に何かあれば出入りの鳶の頭が飛んできて手伝い、それ相当のことは常に店から気配りがなされていた。
屋敷内は広く、店と奥とは別所帯に区切られ、店の者は置くへはめったに行かれない。敷地内に番頭さん達の住まう長屋が何棟かあり、そこから店へ通う。
店の食事の時は拍子木を叩いて皆に知らせる。
雷がゴロゴロ鳴り稲妻が走れば、店の廊下に出て皆で万歳を叫ぶという話を聞いた。当時は可也若い手代達が多かった様である。
C六つ蔵
D吉田武甲氏落款と注釈

店には台所と店員の風呂場があり奥とは皆別で、女中も別である。
店は二階建てで相当広いようである。正面に佐野屋の家印「キ」の暖簾が掛かっているのが店の入り口であり、右側に三階建ての質蔵が六つある。
見世蔵、中央蔵、乾蔵、大蔵、中蔵ともう一つ蔵があり六つ蔵という。
この中の蔵に吉原の花魁(おいらん)の道中着等を入れた大葛篭(おおつづら)を預かった蔵がある。葛篭は竹で編んで丈夫な紙が貼ってあり、回りは木の枠の骨組みでしっかり固定されて表面は黒漆が塗られ、鍵も掛かるように頑丈な金具が付いていて四隅に短い足が付いている。正面の金具の下に吉原の店名が「○○楼」と銘々赤い漆で書いてあった。
店の敷地にも少しの庭が見えて井戸がある左画面に大きな木々があり、庭に囲まれて二階家の住まいが建っているのが見える。番頭さん達の長屋も店の近くの敷地にある。蔵は皆三階で家の廻りは木の塀が巡らされている。
吉田武甲氏画(昭和26年に菊池久吉に宛てて書かれた葉書)
明治期〜菊池家の人々
明治34年9月15日 本所外出町茶室の前庭にて、牛の御前祭礼の時



菊池久吉 謡曲「隅田川」 昭和10年9月11日録音